「劣等感」はいいもの?!

評判のいい皆さんこんにちは!

 

私たちは人生を重ねていくことでたくさんの成長をしていくものだといえますが、成長するということにも、身体的成長もあれば精神的成長の両側面が存在します。さらにいえばどのような成長をすれば人間的成長をしたといえるのでしょうか。


成長とは「今までの自分」と「今日の自分」を比較して何ができるようになったのか、ということかもしれません。このときのポイントは「他人と自分を比較するのではない」ということです。

そして今までの自分に対して少しずつ様々な経験を蓄積していくことです。f:id:toriosan:20170116152956j:plain

人間は理想を追い求めるものですが、「現実」という今の自分からスタートして成長した成果として理想が手に入るわけです。大体の場合、現実と理想の間にはギャップがあります。そのギャップを成長して埋めることで理想に近づいていきます。アルフレッド・アドラーはそのギャップのことを「劣等感」といいました。

よく劣等感とは「悪いもの」と認識されがちですが、劣等感があるからこそ理想に向かって現実の自分を成長させていく原動力となるものですから、「良いもの」以外のなにものでもありませんね。

しかし劣等感を持っていること自体が、「自分が劣っている」と感じてしまう人がかなりいるようです。そんなことありません。

 

劣等感は良いものですが、なぜ劣っていると感じてしまうのか?それは現実から理想に向かってギャップを埋めることが簡単なことばかりではないからです。

実際の世の中はそんなに甘いものではありません。現実から理想に向かう途中で必ずといっていいほど目の前に立ちはだかるのは「問題」です。すると目の前の問題をなかなかクリアできない自分が存在しています。その問題をクリアできないこと自体を見て「自分は問題を解決できない愚かな自分だ」と勘違いしてしまうのですね。少しぐらい問題が解決できなくても何の心配もありません。そもそも自分の目の前には自分に解決できない問題は現れないのですから。

もう一つ、誤った劣等感を持ってしまうパターンとして、他の人と自分を比べて自分が劣っていると勘違いして自分を責めてしまうことが上げられます。「あの人はできているのに自分はできない」と考えてしまいます。他の人と自分は確かにいろいろな能力や知識や経験や立場が違っていて「差」は生じているでしょうけれども、人と自分はもともと違う個体です。違う個体なのになぜ同じ土俵で比べてしまうことがあるのでしょうか?存在として違うのですから比較する理由がありませんよね。「優秀だ」と言われる人がとなりにいたとしても堂々としていましょう。

 

 

人間の成長は命を終わらせる時まで続きます。自分はこのぐらいできているから大丈夫だと満足せず、まだまだ自分は未熟で理想まで成長できる!と「健全な劣等感」を持ち、謙虚に学ぶということが、自分の人生の幸福をつくり出すのだと気づかされますが、いかがでしょうか?